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花山天皇は、藤原兼家の謀略により、元慶寺において19歳で出家し、書写山圓教寺の性空のもとで研鑽を積んみ、さらに比叡山延暦寺の戒壇院で灌頂受戒し、熊野で仏道修行に励みました。
中山寺には、奈良時代に徳道なる僧侶が石棺に観音霊場三十三ヶ所の宝印を納めたという言い伝えがありました。花山法皇は中山寺からその宝印を見つけ出すと、先述した熊野を出発して、宝印のある三十三の観音霊場を巡礼する修行を行いました。その巡礼した場所は、のちに西国三十三所巡礼となりました。また、花山法皇が各霊場で詠んだ和歌は、のちに御詠歌となり、それらは今も受け継がれています。
花山法皇は各地を巡礼しましたが、その中でもっとも気にいった場所が東光山です。花山法皇は東光山で隠棲生活を送ったので、花山院菩提寺として御廟所が設けられています。
寛弘5年(1008)2月、花山法皇は亡くなりました。その遺骸は、紙屋上陵(京都市北区)に葬られました。
この辺りを通りがかった時に、天皇陵があるなとは思っていましたが、あまり気にせずにいました。今回の大河ドラマ「光る君へ」や西国三十三所の御朱印巡りをしていて、縁の深い花山天皇の陵墓が紙屋川の北にあると知り、もしやと思い訪ねました。
しばらく、陵の所在地は不明となっていましたが、江戸時代に特定され、陵として修補されました。
1895年に紙屋川上陵(かみやがわほとりのみささぎ)に改められました。